フィッシュマンズをまた聴いている。


まいど。
雨は降らなかったっけ…。


twitterのタイムラインに触発されて、またフィッシュマンズを聴き始めている。
聴き始める、なんて大それた事では、実はない。
いつも通り、フィッシュマンズの曲をiTunesから、iPhoneからチョイスする。
そのまま仕事したり、歩いたり、いろんなことに思いをはせたり。
不安になったり、不安を慰めたりする。

フィッシュマンズの音はいつでも、聴き出すとだんだん周りの音が小さくなって。
自分とフィッシュマンズだけになったような気になる。
単純で優しいリズムが、自分のひきつった呼吸を、少し落ち着けてくれる。
そんな気がするのさ。

とはいえ。フィッシュマンズを色んな人に紹介しても。
「眠い」「よくわからない」「だるい」だの色々言われる。
正直フィッシュマンズを紹介して、それを好きだと言ってもらったことは、ほぼゼロで。
ほとんどは「あ、あなたもフィッシュマンズ好きなんだ」と発見から出会うことばかり。

多分だけれど。
これは他のフィッシュマンズ好きにも当てはまる経験ではないのかな。

フィッシュマンズの音楽を口で説明するのはしょせん無理なことなのだが。
それでもいざ音を聞かせると「眠い」とか言われるので、どうにかして自分が感じるフィーリングを言葉にしようとする。
フィッシュマンズを知ってから15年は経っているのだが、未だにまとな表現でこの音楽を伝えることができていない。
こんなこと、どだい無理な事なのだが。
それでも好きな事は口にしてしまうし、またフィッシュマンズについては語るだろう。

フィッシュマンズの世界観で自分が興味深いと思うのは(これもあえて言葉にすれば、だが)
フィッシュマンズが

そもそもあまり幸せを信用していない
と思わせる事だ。
100%のポジティブで自信満々、すべてが自分の味方なんだ、みたいな圧倒的な前進力。
そういったもので、フィッシュマンズはできていないように思う。

そういうものよりも、もっと斜に構えて、遠くて、卑屈で。
それでいて純粋で、世界は小さくて、大きくて。
フィッシュマンズは幸せを真正面からみていなくて、ある意味遠くで眺めている。
そんなような感じが、あるのではないかな?なんて思う。


……でも。ああ。
この表現も書いてみれば、また非常に遠い表現だ。
まったくうまく伝えることができていない。

それはそれで非常に悔しい。
けれどまあ、そうたいした問題でもない、ともいえる。
そんなことが表現できてもできなくても、フィッシュマンズの音楽は勝手にまた僕に忍び込むのだ。



ということで。
友達が今来たので、日記はおしまい。


タグ【フィッシュマンズ】


更新 2010月06日21 23時43分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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