クリエイティブ(職人)とは「もー、よくやるわー」と一つでも思われること
まいど。
今日は大阪。スーツをクリーニングに取りに行かないと!
ものづくり、クリエイティブって何だろう?って考えている。
少なくとも俺は職人の領域だと思う。オペレーションでもあるけど、やはり職人。
その部分がなければ、やっぱり作ったものに人は納得しないと思う。
では職人とは何か。ひとことで言えば「こわだり」だと思う。
その瞬間、職人とは「職域」だけではなく「その人そのもの」とも言える。
うまく言えないけど、職業の名前だけでは、もうおさまらないんだと思う。
そうなると「どうやってそういう人になるか?」って話になってくる。
仕事は仕事。プライベートはプライベート。そういった枠を明確に区別して
割り切って上手に生きようとすれば、どんどん職人からは遠ざかっていく。
これを混合してなおかつ「楽しく生きる」にはエネルギーが必要になる。
ではそのエネルギーはどこからやってくるのか?どうやったら生まれるのか?
その元になっているのは「違和感」や「疑問」だと思う。
完成された芸術をみて「素晴らしい」と思うことはかなりの人ができる。
でもそれをみて「なぜ素晴らしいのだろう?」と思えるのがクリエイターなのかもしれない。
もっと言えば「醜悪」と呼ばれるものを見たときに「なんで醜悪なんだろう?」と疑問を生む事ができる。
あるいはなにげない風景に「これは素晴らしい」と感動を覚えて、それを伝える事ができる人。なのかもしれない。
その疑問を感じる力はなんだろう、と考えるとそれは「観察力」だと思う。
見通す力もそうだけど、とにかく詳細に物事を見る、その上で「差」に気付くこと。
どんな創造も、情報の集積とその人なりの「誤解」の結果だと思ので、まずはその元になる情報が大事になる。
その情報を集めるときには、できるだけ、というか余分な知識はいっさい要らない。
「あの有名な」とじゃ「周りの評価の高い」とか入ると、自分の判断が鈍る。
そうだ。クリエイティブというのは「自分の判断の結果」を売る商売なのだな。
だからその部分に混ぜ物は要らない。ただただ孤独な作業でなければいけない。
こういう作業を自分で行いつつ、それを問いかける、照らし合わせる「環境」も作っていける。
そこまで含めてクリエイターだと思う。
その環境を自分のコミュニケーション能力で作ってもいいし、作品の強烈な個性が勝手に引き寄せるでもいい。
自分の結果をうる仕事というのは、実は真逆である「人を尊重すること」をぎりぎりまで行った最後に残るものだと思う。
なので「俺は俺は」というのは実はクリエイターではない。そもそもそんな人は拒絶されてしまう。
というかそういった行為にそもそも愛はない。
とここまで書いてきてまったく意味が分からなくなったが、それでもクリエイターには誰でもなれると思う。
またそうあり続ける事で、どんどん深度を増す事もできると思う。
表題に「クリエイティブ(職人)とは「もー、よくやるわー」と一つでも思われること」と書いたが、これに当てはまればなんでもいいと思う。
例えば俺なら毎日日記を書いている。
なので、多少の人は「もー、よくやるわー」って思ってると思う。そんなんでいい。
やってることのクリエイティブが常に斬新で新鮮、他に類を見ないでなければいけない、なんてことは絶対にない。
結局はクリエイティブのほとんどは「工程」で、その通過点がどこかで「結果」として評価されるのだと思う。
だから結果として「自発的に何かをやる」ことの「連続」。
それがクリエイティブの有り様なんだと思う。
「連続」のスパンが、人によっては短かったり長かったりするのかしれないが、ひとまとめでいえば「連続」だ。
そしてその間をつねにうめているものが「観察」なんだと思う。
「観察」と「創造」は常にセットで行われるもので、タイミングによって「創造」は行われるけれど、頭の中では常に「妄想」でいろんな価値観がテストされているような気がする。
と、ここまで新幹線の時間も無視してわーーっと書いたけど。
果たして「クリエイティブになるには?」という答えが果たしてあっただろうか?
正直ヒントはあっても全く答えはないような気がする。
そのあたり、誰か答えを持ってる人はいませんかね?
いたらまじで教えて欲しいっす。
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更新 2010月06日28 11時03分