自分の中に毒を持てているのか。
まいど。
今日は珍しく親戚が入れ替わり立ち替わり。
忙しい日々だった。でもって今は作業。
なんだかねぇ。ちょっと今忙しい。
忙しいは「心を亡くす」って書くって誰かが言ってたけど。
心を亡くすと人は何をするんだろう。
心を亡くすと、人は毒を持つ。
そしてその毒を誰かに投げつけてしまうのではないか、と思う。
今日、岡本太郎が誕生して100歳だそうだ。
いつ岡本太郎と俺が出会ったのか。
岡本太郎に俺が衝突したのか。
多分今から10年前。きっかけは忘れたけれど著書「自分の中に毒を持て」を読んで衝撃を受けた。
自分の気持ちを常に自分の軸にすること。
常に今の自分を捨てて、新しく行動する事。
著書からもらったのは情報以上の「勇気」
それを裏切らないような自分で今いれているか。
正直微妙だ。
それは最初の話に戻るが、今時々「心を亡くしてる」自分を感じるからだ。
そういう時の自分は傲慢だ。その反面自分を傷つけたりする。
わがままで、適当で、気分屋で、そのくせ問題を直視しないで、言い訳ばかりを積み上げている。
まるで岡本太郎の逆じゃないか。
ああ、情熱が足りない、エネルギーがたりない、パワーがたりない。
だから優しさが足りない。
そういう自分で、ただ行き止まりにいるだけだ、と感じるときがある。
もちろんそんなに傷つけなくていいのは、分かっているんだれど。
そういう自分で、それなりに十分頑張っているのも、分かっているんだけれど。
欲は自分を奮い立たせもするし、自分を傷つけたりもする。
一見、人の良さそうな部分が俺のはあるのかもしれないけど。
一つめくれば強欲なマグマだ。
太郎がいってた「毒」とは、そのことなのかな。
何度も読み返した本だけど、気がつけば何が「毒」なのか忘れている俺だ。
気がつくと息が詰っている。
怒りは自分に向かっても、きつくなれば相手に向けてしまったりする。
太郎はどうしたんだろう。そんな時。
というか、太郎はそもそもどんな生き様で自分をさらけ出した?
日記でも、絵でも、音楽でも、言葉でも。
誰もが表現者と言う芸術の領域を少なからず背負っている。
だから誰もがどこかで、太郎と繋がっている。
彼のかけらほどだけでも、どこかにつながりがある。
だから彼の表現に引きつけられてしまう。
その先の彼を「ほっておけない」と思う。
だから岡本太郎は人類に無関係ではない。
って言ったら言い過ぎかもしれないけれど。
でもそう思うくらい、彼の表現や思想に救われたり、勇気を持ったりしてきた。
(それはフィッシュマンズの音楽も一緒か…。そして俺だって太郎に全面賛成、というわけではない)
今日21時から。NHKで「TAROの塔」っていう番組がある。
俺は見る。それで今の自分を見つめ直して見たい部分がある。
そのために見るわけではないけれど。
ただただ興味があって。見たくて。
だから見る。
それは芸術に対する観客のありようと、まったく同じだと思う。
写真は今は渋谷に飾られている壁画「明日の神話」
「光と影をあげる、色を見せてあげる」って歌い出しの、オリジナルラブの曲も好き。
タグ【明日の神話】
更新 2011月02日26 22時26分