ゆっくり見られるwebは幸せ
まいど。
久し振りの日記になってるね。連日。
ちょっといつもよりも力入れて(?)日記かこうと思う。
Facebook系の提案や、それ以外のwebマーケティングを考えていて思うのは、
webがどんどん「ザッピング化」してるなーってこと。
ページの反応も「おもしろくなかった」ではなくて「読まれなかった」ってことがより増えてきてる。
とにかくそれが検索きかっかけであっても、紹介きっかけであっても。
とにかくチェックするべき項目がたくさんありすぎるから、多くのエントリーが
「見出しで判断されている」
のは避けられない傾向だろう。
その後、無事にページを読み込んでもらったとしても
「とりあえず斜め読み>しっかり読んだ」
という感で、まともに読まれるケースはだんだんと少なくなってきているのではないかな。
実際自分もそんな感じ。
みんなはどうだろうか。
斜め読みする原因は。俺の場合「他にももっと読むべきエントリーがあるから」
でもそれは、あまりにも「興味を引くタイトルに操られすぎ」だよね。
斜め読みは結局「なんとなくわかった」や「だいたいわかった」
つまり「分かった風」でしかない。
だから誤解を含む。
その誤解が「よけいな憶測」になったり「誤解から有む争い」に繋がったりすることもあると思う。
全体的に見て。
情報がふえることで
「イライラやむかむかが増えて、余裕のない生活になっている」
のではないかなー。
年末に大掃除をして、本をかなり捨てた。
正直読んでない新刊も思いきって捨てた。
今手元にある未読の本は10冊ない程度だろう。
でもこれ、まだ読み切れてない。
今読み途中の本が一冊で、それ以外は後回し状態。
そこで改めて感じたのだが、
「ストックできる量」と「一日に読み進められる量」は本当に違う
ということ。
時間を作っても作っても。それでも限られている。
それはweb上のエントリーにしても同じ事だと思う。
一日にしっかり読めるエントリーの数は、その人の時間や能力の都合で、有る程度決まってくる。
でも、ついやってしまうのは、
「限られた時間(能力)で、できるだけたくさんの「数」を読もうとすること」
そうじゃなくて。
ホントにすべきことは
「限られた読める数において「いちばん読みたい」あるいは「読むべき」エントリーを絞り込む」
ではないかな、と思う。
でもそれができない。
やっぱりいろんなタイトルが魅力的だからだろうか。
つい気になりながら。
また一つストックしては、また一つ多く読もうとするのだ。
その原因は何だろう。焦りかな?
これはまあ、またゆっくり考えるとしよう。
なんにしても。
「ストック」と「熟読」は全く違うものだよ
ということをもう少し自分に分からせたい気がする。
「ストックの数=読める(読むべき)数」だとしたら。
ちょっとあまりに人生窮屈だもの。
でもって。またちょっと話飛ぶけど。
知り合いの染織家と話をしたら、最近海外の人から
「あなたのサイトは一日見ても飽きない。心が安らぐ」
ってレスポンスをもらった、ってゆってた。
(http://grateful-tie-dye.com/)
こういうサイトはタイトルとは無縁の世界にいると思う。
すべてがこういう訳にはいかな行かないけれど。
でも、
「タイトルに左右されない」「自分のお気に入りのサイト」を「ゆっくり眺める時間」
これを持つことが、大事なことのひとつじゃないかなーって思う。
サイトの数が莫大に増えて。
より自分にぴったりな「1」がみつかる筈だったんだと思うんだけど。
時代はちょっと違う方向にいってるのかなー、と感じ、余裕を無くしかけてるこの頃です(笑)。
…………長いな。エントリーが。
更新 2012月03日05 21時44分