書くことは、一歩前にでること。

まいど。
ってことで、朝さくっと日記です。

書くことで、いろんなことが見えてきます。

自分のあたまの中にあること。
それをわざわざ書き出す必要があるのか?それって二度手間じゃん。
そう思っている時期が私もありました。

でも書くこと。
私はおすすめです。

書く事で、

・頭の中の余分なことをきちんと整理して捨てる事ができる(整理整頓)
・考えてる事が、シンプルに整理される
・AとB。違う事だと思ったけど、共通点があった!という発見があることも。

……まあ、つまり書く事で頭の「整理整頓」ができると思います。
これは仕事のことでも、気持ちのことでも。なんでも。

最初は不器用。うまくいかない。

普段言葉を使ってしゃべっているのに、いざ書き出すとなかなかうまくいきません。
言葉をつかって喋る事と、頭の中で「考えが整理されていること」は違うんですね。
楽器の習得や、良く言う「自転車に乗る」みたいなものでしょうかね。

すぐにはうまくなりませんが、取り組み続けることで上達はします。
あとなにより嬉しいのは「廃れない技術」だということ。
一生のスキルとして使う事ができます。時代に流されません。

きちんと自分の人生に帰ってくると思います。

書く場所をどこにするか

これは紙の日記でも、テキストファイルでもブログでも。どこでもいいと思います。
ただ最近のインターネットは情報過多になりどんどんヒステリックになっています。

文書を斜め読み(誤解)されて、批判や非難を受ける

っていうリスクもあります。
なので、ブログとかは便利だけど、見えないところに書く、でも全然OK。
「書くこと」がまず大事なのでね。

とはいえ。
文章の上達のコツは「人にみられること=他人を意識すると内容をはしょる文章をだんだん書かなくなってくる」があるので。

私個人としては「ブログ」で書いて。
アドレスを知人に知らせるかどうかは、判断、って感じかなぁ、と。

個人的な体験としての追記

2000年頃かな。
7年だか8年くらいつきあってた彼女と別れた事があるんですが(懐かしい)。
わたしは気持ちの弱い人間なので、そのときにけっこうネットをあさったりしてたのですね。
恋愛掲示板的なやつを(笑)
そうやって、いろんな手段で、感情を慰めた記憶があります。

恋愛だけに限らず、病気、突発的な不幸、事故。
人生って理不尽な事があって、それでも人は立ち向かって行かないといけません。
そのときに「感情を慰める」ことって、すごく大事だと思うのです。
水に流すとか「許す」に繋がって行くことだと思いますし。

そういう時。
自分と似たような体験をした人の日記、記録って、すごく力になってくれます。
そのときの自分を救ってくれると、思います。

私が日記をブログ形式で世の中にさらしているのは、正直いって「誰かにみせるため」ではないです。
万人にとっての資産的価値など、はっきりいってこのブログにありません。

ただ、自分が辛い日に日記を書いたとしましょうか。
その日記が、いつかどこかの「辛い誰か」の慰め、力になる可能性も「あるかもしれない」
これをローカルの閉じたところに書いていたら、その可能性は「ない」になります。

私としては、あの日の誰かのブログやテキストに恩を返すというか。
感謝のきもちとして、見せる、ではなく「日記をネット上に置いておく」というスタンスをとっています。

これはほんと個人個人で差があるのではないかと思いますが、あくまで私の気持ちとして。
こんな感じです。


ってことで、仕事やろ。
今日から「nikki」カテゴリを選ばない事にした!


更新 2012月05日18 10時16分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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