瓶の大きさは分かるのか。
おはよう。
さくっと日記。
この日記がとっても面白かった。自分としては好きな話です。
間違った方向に行き過ぎないよう、希望が持てるように。示唆に富んでると思います。
よければぜひご一読を。
順番を間違えるのはなぜか。
本文の中に、こんなことが書いてあります。以下引用。
もしあなたが最初に砂で瓶をいっぱいにしてしまったら、小石やゴルフボールを入れるスペースがなくなってしまうのです。
といっても実生活では「砂を入れすぎてる」「ゴルフボールが足りないのでは」といったことはよくあると思います。
この原因の一つに「マヨネーズの瓶、その大きさが、はっきり分からないから」ってことがあると思うのです。
見通しつけていた瓶の大きさとちょっと違うぞ?みたいな。
瓶の大きさは、入れたものから探るしかない
この例文では、家族や友達を「ゴルフボール」仕事などを「石ころ」それ以外を「砂」っていう例えにしているのが、多分優れているんだと思います。
大きさの具体的なイメージがつかみやすいから。優先順位を教えてくれます。
でも人生は出会いの順番や運もあるから、かならずしもゴルフボールから入れられるとも限りません。
砂を入れながらゴルフボールを探していることもあるのではないかと。
そのときに「まだまだゴルフボールが入る余裕はあるよ」って思っていたら、ぜんぜん入る余裕がなかった。あれ?こんな瓶ちっちゃかったっけ?
こんなことは、自分はけっこうあります。
他の人もあるんじゃないかな。
ほんと瓶の大きさはこうやって計るしかないと私は思ってます。
そして、瓶はいろんな要素で大きくなったり小さくなったりする。
それをコントロールしつつ、バランスとって行くのが人生かもしれません。
(瓶が大きければOK、とも、個人的には思いません。管理コストがかかるし)
「家族(自分)」「仕事」「それ以外」もコミュニティの種類なのかな、と。
仕事が大事か、家族が大事か。
こういう極端な議論が徐々にヒートアップして激論になるケースがありますが(笑)
これはほんとその時その時によりけり、が答えじゃないのかなーと。
恋愛もそうですけど「その時必要だった」だけのこと。
これはけっこう人生にあるような気がします。
ただ、仕事と家庭っていうのは、水と油のような極端に差のあるものではないのかなーと。
結局は社会を形成するコミュニティの種類にすぎないのかな、と私は思っています。
その上で、どういう順番で優先すべきか。
究極の選択を迫られるときに、どの順番で対応すべきか。
これは、個人的には「家族、仕事、その他」って感じで、マヨネーズの瓶のたとえ話と同じ意見です。
結局1番身近で一意番小さいコミュニティを、それぞれが管理運用するのが社会の根本なんだろうなーというところです。
(なので「家族(自分)」と表記しました)
ってな感じ。
さて、今日も頑張ろう。
更新 2012月05日22 10時20分