一生懸命の罠
まいど。
あと3分で始業だけど、ちょっとだけ先に書いちゃう。
最近子供ができて、こういっちゃなんだけど頑張ってるなーって思う。
頑張ってるって何?っていうと、かなりタイトに動いているってことかな。
まあ、これはほんと俺だけでなく「家族が」って感じかな。
睡眠時間も固定化してきて。それ以外の時間をどうやって使うか。
やるべきタスクをどうやって片づけるか、に、昔より集中してきてる。
(集中してきてる、とはいえまだまだなところもある)
「思う」「考える」よりも「時間割」と「締切」にかなりタイトになってるのではないかな。
一生懸命の思い
昔とくらべると、かなりかわってきたなぁ、と思う。
昔は「がんばるんだ」「がんばりたい」って思いが強かった。その結果、思っていた。
思っていた、ってどういうことかと言うと「その時間動いてなかった」ってことだと思う。
今の自分じゃだめだ、とか。
このままの自分では限界がある、とか。
頭はかなり一生懸命活発に動いていたけど、それだけって感じだった気がする。
そのくせ、その「一生懸命になる理由はなぜか」みたいなことを、ブログとかにかいたり、会う人に必死に語っていた気がする。
「ブログとかに書く時間」とか
「人に一必死に語る時間」とかが、今は全部行動の時間になっていると思う。
(なのでブログも基本時間を決めて書いている)
一生懸命の罠
一所懸命さ、というのは時に感情の熱量に変わる。
それを冷ますために、いろんなことが必要なったりする。
その
「熱が上がる時間」と
「熱を冷ます時間」
これが最近無駄だなーって感じてるのかもしれない。
昔に比べて今のほうがより「結局自分と戦っているのだな」って思う事が増えた。
そのために、大前研一さんの言葉じゃないけど
人間が変わる方法は三つしかない。
一つは時間配分を変える、
二番目は住む場所を変える、
三番目は付き合う人を変える、
この三つの要素でしか人間は変わらない。
のうちの「時間」の部分にフォーカスがあたってるのかもしれない。
んでもって、結局俺以外だってみんな「自分と戦ってるんだな」って思うとさ。
こうFacebookのウォールやら、twitterのTLみてても
「あー、等しく戦友なのかな」
って思う事が増えた。
まあ今の俺は自分の事で精一杯って感じだろうかね。
あと、大前研一さんの言葉には続きがあって
もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。
かつて決意して何か変わっただろうか。
行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。
そして時間、場所、友人の中でどれか一つだけ選ぶとしたら、時間配分を変えることがもっとも効果的なのだ。
なんだって。
俺が前に強くエネルギーをつかっていたのは「決意を新たにする」だったんだろうなぁ、などと、ふと思った。
ってことでざっくり11分。
今日も仕事しますー。
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