まとめる人不足

まいど。
今また事務所に戻っていて、仕事です。
その前に、と。

最近おこっている身近な問題に感じること

最近ちょっと不幸が続いたり、まあいろいろあるんですけど。
全体的に「これが原因かな」って感じるのが「まとめる人がいない」あるいは「まとめるべき人がまとめない」ってことがあります。
ほんとね、この問題は結構根が深いと俺は思う。

まとめる人ってのは正直、元々そういう人格なのかなーって思ったりします。
あるいは教育、育ち方ね。
ここはまあ曖昧ですが、とにかく誰もがどこかで「まとめないといけない瞬間」はあるわけです。
人生長くなってくると問題が大きくなってきたりもするね。

そうなると「まとめきれない」ってこともまあ、出てくるわけで。
その時に「これは君が考えて」って明らかにキャパのない人に決断を強いたり、あるいは「議論」と称して結論を先送りしたり。

そういうことが続いた「まとめらてない状態」
これがどんどんトラブルに繋がって行くケースを最近よく見ます。はい。

インフラがかわって中抜きになったけど、一番上は一番下が分からない。

でもってね。ちょっと話がずれるけど。
最近楽天のkoboの品質がひどいって話になってますが。
三木谷さん曰く「騒いでいるのは2000〜3000人で全体からすると少ない」ってゆってたんだけど。

確かに購入者全体から考えれば「割合」としては少ない。
でも2000〜3000って「数」はちょっとした村レベルだし、十分に大きな数だと思う。
その大きな数の一人一人が

「三木谷〜、てめーふざけけんなー」って「同じ三木谷さん」に向かってゆってる。
でも三木谷さんは「2000〜3000っていう一つの数の集合」でしか見てない。
というか、購入者一人一人が三木谷さんを見るように、三木谷さんは一人一人は見れない、と思う。

そもそも立場が違うから無理ってのもあるし、現実的に無理ってのもある。
この話はさー、多分政治とか社会もおんなじなんだと思う。
俺らは首相を見て、あーだこーだいえるけど、首相は一億人同じように見れない。

じゃあどうするかっていうと、小さな集団の責任者から大きな集団の責任者に。
意見を伝えたり、その責任者の人格とコミュニケーション能力に託すしかないと思う。

ネットはいろんな中抜きを行ったんだけど、社会構造においては「中抜きはなし」なんじゃないかなーというのが私の最近の持論。

身近なトラブルを上にもっていっても、自分達と同じ目線ではみてくれない

社会構造を中抜きしないって言い方、固いかな。
なんつーんだろ、兄妹、家族、地域、親戚、会社、友達。
なんでもいいけど、自分と誰か。その関係性をしっかり育てる事と。
そして有る程度の人数になったら「誰かがまとめる」っていうこと。

それを積み上げて行かないと、自分の周りは良くなって行かない。
なんだろね。決定したことが周りに影響、伝搬して行かないんだと思う。

「そんなの国がやればいいじゃん」っていう意見もあるだろうけど。
そうするとさっきの「見えてない」って問題がやっぱあって。
こちらが望む決定じゃなかったりすることもきっと多い。

結局大きなところに文句を言う前に。
自分の手前、自分の身近で以下に組織化して、かつ決定して身の回りを作っていくか。
事故や怪我、不幸がないように、どうやってできるだけ準備するか。
不幸を小さくして幸福を大きくするために準備できるか、そこなんだと思う。

その準備を決める事が「決定」で「決定まで導くあれこれ」が「まとめる技術、行動」なんだと思う。
とは言え今は「自発的な責任者の責任も容赦なく追及する」世の中だから。
そうなると「まとめるリスクばかりがおおきい」ってことが多いんだよね。

でもそうやって「まとめる存在」を消せば消すほど社会は殺伐としてくる気もしててね。
安易な言葉かもしれないけど、社会全体一人一人が「まとめる立場を尊重する」をしないと、どうにも良くならないと思います。

そういうのを「社会性」っていうのではないかなー、なんてね。

ちょっとあいまいですが書いてみた。
さて仕事だよー。


更新 2012月08日02 22時21分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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