001-扉の向こう
まいど。
なんか今日もばたばたして、日記を書くのが今だ。
この後データのチェックがあるぞ。まだまだやることはある。
あと今日は深夜になっても少し歩きたい。でも外は雨?
■「扉の向こう」を買った
最近エレファントカシマシが気になってしょうがないんだが、そのドキュメントのDVDを買った。
買ってから気がついたが、youtubeに転がっていた。
なんだ。損した。
や、そんな事はない。もう10数回流している。買って良かった。
宮崎駿にしてもミヤジ(エレファントカシマシのボーカル)にしてもそうだけど、こういうドキュメントを見てると、つくづく思う。
ものをつくることは、人生だ、と。
■見てると血が湧いてきそうな気がする。
なんだろね。見てるとミヤジのテンションにだんだんと染まっていく。
夜仕事しながらただ流しておくだけでも、なんか呼吸が浅くなるような、切迫感さえ感じる。
なんでだろうね?
結局自分もものづくりの人間だからなのかな?
ものをつくるってのは、どこか問い掛けを含んだ部分がある気がする。
こんな俺でいいのか?
この俺で間違ってないのか?
俺は自分を信じているか?
俺は俺にとって価値があるのか?
実際はそこまで辛辣な言葉は劇中には出てこなんだけどね。
でもなんか感じるの。ミヤジのその存在、振るまい自体に。
オーラ、というのだろうか。
■未来の自分に、今の自分で挑む。
小見出しをかいた瞬間に思ったのだが、きっと「扉」とは「今」であり、「扉の向こう」とは「未来」なのかもしれない。
ふとそんなふうに思った。
ま、俺の想像だけど。
たのしいものづくり、苦しいものづくり。
ものづくり一つとっても色々あるんだけど、どのものづくりでも
その自分に嘘がある
のなら、それはつまらなく、自分を悲しくさせるだけのような気がする。
だからこそ、自分に問いかける部分が、どこかで発生するのだと思う。
問い掛ける、ということは、今の自分を疑う事でもあるけれど、それは
未来の自分を信じている
ということではないのかな?と、言葉遊びの中で思う。
未来の自分を信じる、ということは、言い換えれば
自分の価値を自分で決める
ってことかもしれないね。
なんかそんなようなカオスを引き伸ばしたり薄めたりしながら、とにかくこのDVDを見ているような感じです。
ま、とにかくこのDVDは俺にとって、価値のある一枚。
DVDの中のミヤジの言葉も、ひとつひとつが真実すぎて、あいまいであっても結構心に響いてきた。
とまあ、今日はなんか真面目というか「暗い」感じが…。
まあ、いいや。
やることやって寝るべ。
まだまだあるけど。
扉の向こう「1-7(テレビ版はDVDとは違うみたいです)」
http://jp.youtube.com/profile_videos?user=tobirano
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