BLACK & BLACK

子供の頃、大人たちに向かって「おいしいコーヒーをいれてあげる」と言って、台所で人数分のコーヒーを入れた事がある。まだ小学生の頃。お盆の上のカップをカチャカチャさせながら、テーブルの上に運ばれたコーヒーは、黒というよりも白に近い茶色だったと思う。
子供なりに精一杯の美味しいコーヒーをいれようとした。砂糖をたっぷり。クリープをたっぷり。そうやって子供の味覚で作ったコーヒーを、苦笑いしながら大人たちは飲んでくれたっけ。
今でもなんとなく覚えているあの違和感。自分が大好きなものが、大人にはそうでないこと。その違和感が鮮明だった時期を、振り返れば「少年時代」と言うのかも知れない。

二十歳を過ぎていっぱしの大人になったと思った反面、「あれ、大人になっても、そんなに変わらない」っていう不思議な気分があった。同じような気持ちはやはり三十歳になった時にも感じた。「30歳ってこんな子供のままでいいの?」本質はきっと変わらないのだろうが、何もかもが昔のままということでもないのだ。ほら、すっかり忘れているけれど今はもうコーヒーに砂糖もクリープも入れない。大人になるというのは、そんな風にきっとさりげないのだ。

小学生の当時、親戚のお兄ちゃんというのは、まさに「お兄ちゃん」という存在だった。母の実家は2階建ての建物で、平屋に住んでる自分にとっては、それだけでワクワクしたものだ。今風に言えば「テンションが上がる」というのだろうか。よく考えると20年前には「テンション」なんて言葉、日常会話のどこにもなかった気がする。

狭くて暗くて急な階段を2段飛ばしで上っていった先。二つある扉の左の方。コンコンとノックしてそーっとあける。「入っていいよー」という声を確認して、なれなれしくそばによる。当時高校生だった親戚の兄の部屋は、どこをとっても「お兄ちゃん」の部屋であり、それは全てが大人の空気だった。

アップライトのピアノが無造作に部屋の隅の置かれていた。多分もう使っていないから、黒の上に粉のような埃が目立っている。その上に黒い大きなケース。ピアノを弾くためのイスの上にのって抱えるようにしてケースを降ろす。中をあけると弦が錆びたフォークギター。親戚のお兄ちゃんは既にロックンロールミュージックに夢中だった。だからこそ使わなくなったフォークギターに触らせてくれたんだろう。

洋楽というものがビートルズによって日本にもたらされたとするなら、ロックンロールは、ローリングストーンズ、ブラックサバス、レッドツェッペリン、ディープパープルあたりによってもたらされたのだろう。多感な十代にそれらに染め上げられたのが親戚のお兄ちゃん達の世代だ。壁にはずっしりとダビングした洋楽のカセットテープが並んでいた。音楽を聴く事自体が、まだまだちょっとした贅沢だった時代だ。

薄暗い部屋のたいして大きくない窓を、まばらに隠すブラインドから光が差し込むと、うっすらと埃が反射して、その先の壁に打ち付けられた棚一杯のカセットテープをよりいっそう怪しくさせる。ロックンロール自体が分からない上に、音楽といえば「ザ・ベストテン」が情報源の全てだ。訳の分からないモノが、壁一杯に並んでいる。訳が分からないからこそ、ワクワクする。
子供ながらに大人の世界に触れている興奮で一杯だったのだろう。今の自分からすれば、単なる青臭い高校生の部屋なのかも知れないが、そんなことをつい考えてしまうことが「大人になった」つまらなさの一つでもある。

「メタルテープ」のメタルの意味も分からないが、メタルの響きだけで既にかっこよくて興奮する。それが例えユーミンが入っているテープだったと知っても「ユーミン」って響きだけで訳もなくまた興奮する。無知に無知をかけあわせたら、とにかく何にでも興奮してしまう。
結局そのテープを貸してもらう事になるのは、俺が高校生になってからだ。「何かオススメの洋楽を教えて」と訪ねた時、就職して地元企業で働き出していた親戚の兄が渡してくれたのは、ブラックサバスのテープだった。

初めて借りた洋楽をわくわくして持って帰った。寝る前にテープを流しながら寝ようと思った。枕元にラジカセを置いて、PLAYの固いボタンを押した。シィーっというテープのこすれる音の後に、雨の音が聞こえてきた。そのあと、呪文のような音が聞こえてきた記憶があるのだが、よくわからないまま疲れてそのまま寝てしまった。ロックというから派手で頭を揺らすような音のショックが来るのだと思っていたのだろう。「まだか、まだか」と思いながら、雨音と雷の音に癒されて、眠ってしまったのだと思う。

あれからバンドもやって、洋楽も聴いて邦楽も聴いて。そのあたりをきっかけに数多くの音楽を聴くようになった。ブラックコーヒーを気がついたら飲めているように…と思い直してみると、ブラックサバスはそのあと結局聞かないままで今日まで来ている。なぜか興味がなくここまできたのだ。不思議だ。ストーンズもツェッペリンもディープパープルも大好きなのに。埋まっていないパズルのピースをふとした事から見つけてしまった、そんな気分だ。

それでも思い直したら、少しワクワクしてきた。いつの間にかブラックコーヒを飲めるようになり、僕は大人になった。いつの間にか、つまらないことの一つもいいたくなる大人に、僕はなっていた。同じように、あの日聞けなかったブラックサバスをいつの間にか聞けるようになったら、次に僕はどんな大人になっているのだろう。次の自分が、きっとそこにいるような気がしてきた。
そんな気がしてみたら、また少し意味のないワクワクが生まれているのがわかる。ああ、大人になったけど、まだまだ子供なのだ。

いつものブラックコーヒーをやめて、砂糖とクリープいっぱいのコーヒーに切り替えて。あの日の気分に少しでも近づけて。いつか、でも近いうちにブラックサバスを聞いてみよう。

そんな楽しみが一つ増えたこと。
それも大人になった証拠なのかも知れない。

2009.2.26 AM 2.22


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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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