内輪の話は無くなりました。

なんか吉野家の話がすごいね。ニュースをちょっと追えてなかったんだけど、方程式は理解できるけど、そもそもの表現がダメでしょう、という。

汚い言葉を「常用する」ことは、本当にリスクしかない。心からやめた方が良いと思うし、自分も本当に気をつけないといけない。

「汚い言葉を使いたい理由」が、使う人にはあるのだと思う。どうして「口に出したい日本語」がそれなのか。汚い言葉でも発音が気持ち良いのかもしれない。でも、その気持良さを無意識で求めているのなら。いよいよ自分から汚い言葉が漏れるのを、止めるのは難しい。

言葉の汚物に「おむつ」はないのだ。漏れ出すことを防ぐ道具はない。むしろSNSなど現代のツールは「汚物は続くよどこまでも」と言わんばかり。漏れ出すことを「促す」方が圧倒的に多いのだ。しかも密やかに。

この密やかなスパイは人間の心の仕組みに従っているので、良いことよりも悪事を好む。誰かが悪者のニュースはあっという間に広まる。そういう世の中なんだと思う。

今回の吉野家のニュース。不謹慎なのはもちろんなのだが、これが自分に起きたことだったらと思うと肝が冷える。

僕らに必要なのは今回のニュースへの評論よりも「これが自分だったら」と恐れることだと思う。そして汚い言葉を元栓から止めること。

その上で言葉に「内輪」と「外」を区別せず、言葉をより細やかに上手に、丁寧に使うことだと思う。発音する言葉は、SNSの延長に常にある。

色々息苦しさも感じるけれど、見えないスパイがたくさんいるのだ。汚い言葉への未練は時代の土に埋め「より良く言葉を使えるチャンス」と思って向き合っていくのが良いと思う。


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