AppleTV plusのテッド・ラッソとマネーは「良心系」のドラマだと思う。

Twitterでテッド・ラッソを「親切系」のドラマと紹介しているツイートがあった。それを見て「個人的に何か違和感がある」と思い、それからしばらく「どう言い表したものか」と気になっていた。そうしていると、ふと

「良心」

という言葉が浮かんできた。そう、テッド・ラッソやマネーは僕が言い表すのなら「良心系」のドラマなのだ。一括りにする言葉などなくても、テッド・ラッソもマネーも、素晴らしいドラマだ。それに変わりはない。

変わりはないのだが、このAppleTV plusにだけ突然あらわれた、この二つのドラマに感じる共通した味わいと系譜。似て非なる二つのドラマに不思議と感じる、1話見終わった後の、軽やかだけと強い気持ち。これをちょっと1回、言葉にしたくなった。

ドラマの中のテッドにも欲はある。自分が決めた「人を諦めない、幸せにする」というポリシーに反する、自分の妻にこそ、それをどうやっても叶えられない、冷たい現実。諦めないことを選び続けることもできるけど、現実をわかっているからこそ彼の良心が決断する。悲しむ。伝える。

このような良心の物語は、テッドだけでなく、キーリーにもジェイミーにも、ネイサンにも、登場する誰にでもある。それはマネーにも同じことが言えると思うのだ。

もともとなんとなく「kindness」という単語が浮かんでいたのだけれど。もうちょっと日本語でしっかりと表現したいと思っていたら「良心」という言葉が降ってきた。

もちろん最初の「親切系」の通り、多くの親切が描かれ、温かな気持ちでいっぱいになるのも事実だ。(クリスマス会とか本当にそれ)

ただ、彼らは親切なだけではない。常に他人をケアし合うドラマ、ということでもないのだ。彼らは常に、彼ら自分自身のことを思っている。

その根本的な事実に言葉をあてはめるのなら。僕の場合は「良心」ということになるのだ。


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