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AppleTV plusのテッド・ラッソとマネーは「良心系」のドラマだと思う。

Twitterでテッド・ラッソを「親切系」のドラマと紹介しているツイートがあった。それを見て「個人的に何か違和感がある」と思い、それからしばらく「どう言い表したものか」と気になっていた。そうしていると、ふと

「良心」

という言葉が浮かんできた。そう、テッド・ラッソやマネーは僕が言い表すのなら「良心系」のドラマなのだ。一括りにする言葉などなくても、テッド・ラッソもマネーも、素晴らしいドラマだ。それに変わりはない。

変わりはないのだが、このAppleTV plusにだけ突然あらわれた、この二つのドラマに感じる共通した味わいと系譜。似て非なる二つのドラマに不思議と感じる、1話見終わった後の、軽やかだけと強い気持ち。これをちょっと1回、言葉にしたくなった。

ドラマの中のテッドにも欲はある。自分が決めた「人を諦めない、幸せにする」というポリシーに反する、自分の妻にこそ、それをどうやっても叶えられない、冷たい現実。諦めないことを選び続けることもできるけど、現実をわかっているからこそ彼の良心が決断する。悲しむ。伝える。

このような良心の物語は、テッドだけでなく、キーリーにもジェイミーにも、ネイサンにも、登場する誰にでもある。それはマネーにも同じことが言えると思うのだ。

もともとなんとなく「kindness」という単語が浮かんでいたのだけれど。もうちょっと日本語でしっかりと表現したいと思っていたら「良心」という言葉が降ってきた。

もちろん最初の「親切系」の通り、多くの親切が描かれ、温かな気持ちでいっぱいになるのも事実だ。(クリスマス会とか本当にそれ)

ただ、彼らは親切なだけではない。常に他人をケアし合うドラマ、ということでもないのだ。彼らは常に、彼ら自分自身のことを思っている。

その根本的な事実に言葉をあてはめるのなら。僕の場合は「良心」ということになるのだ。


更新 2022月08日23 16時47分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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