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年寄るに思うこと

最近お年寄りを意識してみてる。

そんなことを聞くと、お年寄りもびっくりするかもしれない。自分は今47歳で、老いについて実感も増えてきた。その中で「素敵なお年寄りを、色々と探してみたい」と思って、見るようにしている。将来の自分にとってのモデルケースを探したいのだ。

腰が曲がってないお年寄りってどれくらいいるのかな。話をする感じ。反応速度。肌の感じ、ファッション。どの辺りを気をつけているのかな、など。実際にその年にならないと分からないことが多いだろうから、この辺りは見ることでいろんな発見や想像ができる。

誰でも「ここが素敵」って面があり、時には「これは反面教師にしないと」と思うこともある。その中でよく思うのは「お年寄りが怒っている姿は、あまり周りに印象良くないな」ということ。

銀行とか病院とかでよく見かける。自分がわざわざ出向いて、サービスを受ける側なのにと思うこともあるだろう。体力が低下している中、消耗が大きいのにわざわざ出向いて、なんでこんな話になっているんだ。想定できる事情は色々ある。

ただそういう話と別に、客観的にみてやはり気まずい。怒り方に熱も入りやすいのが、歳をとった怒りの特徴なのかもしれない。

「なんでこんなことになるんだ」と言う怒り方も割と多く、この辺りは冷静に考えると「どうしてこうなるんですか?」と置き換えられる。つまりは伝達するのにわざわざ怒らずに伝えられそうだ。

もう一つは丁寧語を使うこと。「どうしてこうなるんだ!」よりも「どうしてこうなるんですか?」の方が確実に怒りは減らせる。言葉遣いを普段から優しいものにしておくことで、色々と板につけておくことができるのではないか。

そしてもう一つ。今後本当に大事だな、と思うことがある。ちょっと年寄り関係でバタバタした日の夜に「ああ、そういうことか!」と発見に近い気持ちになった。

「若い人を、とにかく褒めること」

自分が年老いていく上での最も大事なことは、ずばりこれだと思う。

今地元の神社の総代をやっているんだけど、考え方や伝統、習慣を含めて「こうしたらいいのではないか」「今の人はこの習慣は受け入れないな」と思うことがある。70代の人に比べれば40代の自分は若いが、社会で見れば所詮おじさんで、若くはない。

何か変更を提案しても「これは元々の考えからすると、沿わない」とか。やっぱり色々ある。神社を例に出したが、社会のことになれば今後もっと色々あるだろう。

若い人材は少なくなるのに、その助けが必要な老人は増えるのだ。一人当たりが世話するべき老人がふえ、多分それでもなんとかしようと色々と考え、彼らはきっと効率的にどうやって解決するかを考えてくれるだろう。

それに対して「それは良くない」とか「これは違う」とか。あるいは「なんでこうなんだ」なんて怒ってしまったら。正直そんなこと言える立場ではないのだ。古い考え方に基づく効率の悪い手段では、供給が間に合わない。だったら自分でやれって話になる。

そういう時代だからこそ、年配の人が若い人を褒めて、感謝して。つまりは尊重しないといけないのだ。今の時代を築いた先人に、若い人は尊敬を、というが。それは僕に限ってはしなくていい。

僕は時代的にあまりされてこなかった尊敬を、若い人にどんどん返していきたいし、それが彼らにとって全力を出せる勇気やきっかけになれば嬉しい。僕だって損はしない。そういう人間である方が「助けたい」と思われやすいだろうからだ。自分にとっても、回り回って得はある。

年配の方を尊重することが「若い人の意見を否定する」習慣の礎になってしまってはならないと思う。自分達が歳をとった時に、そのメンタルが欲しいだろうその尊重こそ、若い人に年配者から率先して作り、渡さないといけない。

そうやることで、若い人が少ないという人的不利を「より効率的、画期的に動き成果を出してもらうこと」で補えるようにすることが、年寄り、若手関係なく全てにおいて大事なことだと思う。当然間違いも出てくるだろうが、その時こそ経験を積み上げた老人の出番だと思う。



更新 2022月10日13 08時59分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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