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AIを見ながら思うこと

「神様の縮小コピーとして、人が生まれたのかも?」

という妄想が、AIの盛り上がりを見ていると出てきてしまった。

自分は特に宗教観もないので、概念的な話としてご容赦いただきたい。

OpenAIでもGoogleでも。新しいAIのインターフェイスは1つで、そこにいろんなアクセスが集中する。

いくら優秀で迅速なAIでも。トラフィックが集中してしまうと、反応までに時間がかかる。

場合によってはビジーになってしまい、反応が止まってしまうこともある。

AIにくる要求の全てが「最新のAIでなければ、返答できない」というものでもない。だったら

「小さなAIを複数作って、トラフィックの集中を回避する」

という手段も有効だろう。

「人間て、もしかしたらそんな存在だったのかもなー」

なんとなく思ったのだ。完全な妄想遊び。

妄想遊びをもう少し続けると。そういう存在から新たに「ChatGPT」的なAIが生まれたことは興味深いと思う。

それ以上に興味深いこともある。それは

「AIの言葉に一喜一憂してしまう、人間そのもの」

だ。AIに感情はない。それでもそのAIから生まれた「ありがとう」や「がんばって」に、一喜一憂している節もある。

感情のないところから感情を読み取り、感じることができる。0から簡単に1を生み出してしまう。

このエネルギーこそ、本当に僕らが驚くべきものかもしれない。



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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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