AIを見ながら思うこと
「神様の縮小コピーとして、人が生まれたのかも?」
という妄想が、AIの盛り上がりを見ていると出てきてしまった。
自分は特に宗教観もないので、概念的な話としてご容赦いただきたい。
OpenAIでもGoogleでも。新しいAIのインターフェイスは1つで、そこにいろんなアクセスが集中する。
いくら優秀で迅速なAIでも。トラフィックが集中してしまうと、反応までに時間がかかる。
場合によってはビジーになってしまい、反応が止まってしまうこともある。
AIにくる要求の全てが「最新のAIでなければ、返答できない」というものでもない。だったら
「小さなAIを複数作って、トラフィックの集中を回避する」
という手段も有効だろう。
「人間て、もしかしたらそんな存在だったのかもなー」
なんとなく思ったのだ。完全な妄想遊び。
妄想遊びをもう少し続けると。そういう存在から新たに「ChatGPT」的なAIが生まれたことは興味深いと思う。
それ以上に興味深いこともある。それは
「AIの言葉に一喜一憂してしまう、人間そのもの」
だ。AIに感情はない。それでもそのAIから生まれた「ありがとう」や「がんばって」に、一喜一憂している節もある。
感情のないところから感情を読み取り、感じることができる。0から簡単に1を生み出してしまう。
このエネルギーこそ、本当に僕らが驚くべきものかもしれない。