つまらないの多くは「今、自分に合わない」だけ
AppleTVプラスが大好きでみているんだけど、全てのコンテンツが面白い訳ではない。
最近でいうと「プラトニック」Twitterでの評判も良かったので見始めてみたんだけれど、30分のドラマなのにどうにも長く感じる。第一話の途中でやめてしまった。
主演のローズバーンがなぜか合わないようで、彼女が主演の別のドラマ「フィジカル」も途中で止まっている。どうも自分は彼女と相性が悪いのかな、と感じたりもする。
ただ、それも勝手な先入観だ。夏に「ファウンデーション」のシーズン2が始まるのだが、これが今から楽しみ。今見ている「サイロ」もめっちゃ面白い。
これらは「SF」といわれるジャンルだと思う。自分は「SFは苦手」と今まで思っていた。それでも評判を聞きつけ見始めたら、面白かった。こういうこともあるのだ。
「スーパーリーグ:サッカーをめぐるバトル」「カム・フロム・アウェイ」これらも自分の趣味範囲外にあるシリーズだけど、他の人にもおすすめしたいくらい面白かった。
ここまで意識的に避けている言葉がある。
それは「つまらない」
「つまらない」と心で思っても、それを外に出すのはできるだけ避けるようにしている。
だって、今つまらないと思っているものが、将来面白く感じられるかもしれないからだ。僕にとってのSFのように。
結局のところ、つまらないとは「今の自分に合わない」だけなのだと思う。いつかは面白く感じる日が来るかもしれない。面白く感じるより先に、自分が死んじゃうかもしれないけれど。
でもほんと「つまらない」とは、ただそういうことなのかな、と最近思う。
安易な「つまらない」という発言で、作る人の心を不用意に傷つけることもしたくはないのだ。作っていない側の、僕が。