Adoの「アタシは問題作」はJ-Popの解決策
Adoの新しい新曲。既に海外からのコメントがめちゃめちゃ多い。
半分近くが海外からのコメントだ。英語、韓国語、それ以外の言語。ほんとにいろんな地域から感想が届いている。動画タイトルは日本語のみで、特段海外に向けての配慮があるわけでもないのに。
以前に「AdoもVaundyも日本語のまま海外で成功する」と日記に書いたけれど。Adoについてはもうとっくにそれが叶ってしまったんだと思う。
少し前までは、そこまで海外のコメント多くなかったんだけれど、あっという間に状況が変化というか、進化した。
Adoについては、顔見せもしていない。いわゆるルッキズムの問題も軽く飛び越えてしまっている。そういう部分も目新しく、かつ評価されているんだと思う。
AdoがAdoとしてやってきたことが、本人の努力や行動はもちろん。タイミングとしても大きく受け入れられてきたのだと思う。
何よりまず、Adoが素晴らしい、というのが大事なのだけど。それ以外にも過去のJ-Popや、芸能界であまりなかった事象が、今割とまとめてAdoに集中していて。
その「前例のなさ」がいよいよ世界に本格的に受け入れられ始めている。そのサインが今回の新曲「アタシは問題作」だと思う。
今Adoに起きている現象。そしてこれから後に起こるだろう、もっと大きな現象。
これについて考察を自分でいくら言葉にしても、ちょっとチープすぎる。あくまで簡潔に、今Adoに起こっていることを書いて、今日の日記にしてみた。
Adoと同じことを他の人がしても、ここまで輝く事はないと思う。実力もそうだが、タイミングもある。
それでも、日本語が日本語のまま受け入れられる。この事実ができたのは、J-Popや日本の音楽業界にとって、一つの解決策であるのは間違いない。
更新 2023月02日22 09時25分